ハナショウブの四方山話


 ハナショウブの原種はノハナショウブだとされています。そして、万葉集にも詠まれている「はなかつみ」とはノハナショウブのことである、と通説になっています。果たして、その真相は・・・。

 芭蕉が奥州へ下る途中、安積沼の「はなかつみ」を探した逸話は有名ですが、これがノハナショウブであったのかは不明です。無学な農民とはいえ、地元に生活する者が万葉集にも詠まれている有名な「はなかつみ」を誰一人知らなかったというのは不自然です。「はなかつみ」は想像上の優美な花ではなかったかという推測も十分に可能性があります。

 したがって、松平 定寅、松平定朝の父子によって品種改良がなされ江戸花菖蒲として普及したハナショウブの原種が安積沼の「はなかつみ」であるとするのは定かではないのですが、ノハナショウブが原種であることは確かなようです。

 松平 定寅・・・2000石の旗本。火付盗賊改役の長谷川平蔵と確執のあった火付盗賊改方加役を務めたことが「鬼平犯科帳」によって知られるようになった。時の老中・松平定信が平蔵を忌み嫌い久松松平一門の定寅にお目付け役をさせたのが真相らしい。大変な花好きでハナショウブの新種作出にも情熱を傾けていたが、病気のため55歳で没した。

 松平定朝・・・23歳で家督相続。父以上の花好きでハナショウブの新種作出に精力を注ぎ、著作「花菖培養録」には300種の作出に成功したと記している。

       
  ノハナショウブ                                    トントンバナ:伊勢系原種近縁


ハナショウブ


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